草食系男子との3年間㊾:真夜中の会話 ~ななお篇~

 

こんにちは、ななおです。

前回はこちら、48話:綱渡りから。

目次はこちらから。

 

真夜中の会話

 

そろそろ寝る準備をしようかと使っていたパソコンの電源を切ろうとしたとき、マサトからラインが届いた。

 

『なんとなく口寂しくなってタバコ買ってきたなう』

 

何気ない日常の報告ライン。飲み会なう、授業なう、そんな報告はこれまでも何度かあったことだけれど、タバコは初めてだった。

 

『え、マサトってタバコ吸うんだっけ?』

 

『うん、時々吸うよ』

 

その返信に私は露骨に眉をひそめた。私はタバコが好きではない。家族に吸う人はもちろんいないし、タバコの匂いを漂わせた人が隣の席に座るだけで嫌な気分になるほどだ。

 

『まじかー、私タバコ嫌いだわ(笑)』

 

『そうなん?まぁ、付き合ってる彼女が嫌がる時は俺も禁煙するけどね』

 

『禁煙してたことあるの?』

 

『元カノは嫌がる子だったから、禁煙してたよ。2年間』

 

そういえばさっき居酒屋にいるとき、数か月前に別れた元彼女と2年間付き合っていたと聞いていた。ということは、きっとその一番最近の元カノのことを指して言っているんだろう。

 

『2年間って、結構頑張ったね』

 

『その子とは結構本気で付き合ってたからね』

 

ふうん、と思う。

露骨に、面白くない、という気分になる。帰りの電車で感じたものと同じ感情だ。面白くない。

 

『未練はないの?』

 

面白くないついでに、もう少し探ってやろうと思っただけだ。恋をするのに相手の情報は必須事項なのだから。

 

『未練はないかな~、まぁ友達としてはまた仲良くなりたいけどね』

 

『へぇ、別れてから遊んだりはしてないの?』

 

『してないよ、まだ別れて数か月だし、てか俺振られた側だし』

 

もう一度、ふうん、と思う。

「振られた側」ということは、自分を振った相手を誘う勇気が出ないだけで、もし彼女が応じてくれる可能性があるならば、本当は誘いたいという気持ちもあるのかもしれない。表面上は未練はないなんて言っているけど、そんなの分かったこっちゃない。
そう思うと、さっき以上に面白くない気持ちが強くなる。

 

『私も先輩への未練、残ってるかもしれない』

 

今の私はまるで意地っ張りな子供だ。マサトの気持ちが自分より元カノにあるかもしれないことに嫉妬して、自分だって他の人への愛情も持てるんだ、だから別にあなたしかいないわけじゃないんだ、なんて、そんなことを言外に主張したかったのだ。本当に、なんて子供じみているのだろう。

 

『私も、ってなんだよ(笑)先輩ってあのSNSの人か。未練あるなら、もしかして俺と会わない方がいい?』

 

今更ながら、しまった、と思った。マサトの元カノにちょっとやきもちを焼いただけで、別にマサトに会いたくないわけじゃない。いやむしろ、とても会いたい。来週のデートだって本当はとても楽しみなのだ。

やはり私は恋愛の駆け引きには向いていない。良く言えばきっと自分に正直な人間で、悪く言えば、馬鹿正直だ。

 

『いや、そういうわけじゃないよ。先輩のことは確かにまだちょっと吹っ切れてないとこもあるけど、でもやっぱりマサトには会いたい。今日も楽しかったし』

 

指先を小刻みに動かして文字を刻みながら、なぜ自分はこんなことを書いているのだろうと思った。なぜマサトに対してしげきへの気持ちを綴る必要があるのだろう?「やっぱり勘違いで、先輩には未練なんかないよ」と、さらりと言ってしまえばいい。もしくは、「ちょっと嫉妬しちゃっただけ、冗談だよ」なんて小悪魔っぽく返してみるのもいい。

文字を打ち終わってその文字列を一瞬眺めた後、私は意識的に送信ボタンを押した。すぐに水色の画面に反映された、数秒前まで消すこともできた文字列を眺めながら、なぜ自分はこれを送ったのだろうと考える。

送ったばかりの吹き出しの脇に白い文字で「既読」がつく。

やはり私は、徹底的に馬鹿正直なのだ。自分の本当の気持ちにそぐわないことは言葉であろうと文字であろうと、自分の一部として表現することが嫌なのだ。自分の発した言葉が、文字が、私を離れて独り歩きしてしまう居心地の悪さに堪えられないのだ。

私は、「しげきに未練などない」と表現することを拒んだ。ということは、私は本当はどこかでしげきのことを考えているのだ。確実に私の心の奥底には、まだしげきがいるということだ。

 

『微妙だな、それ(笑)逆に俺のどこがいいの?』

 

『えっと、勉強に対する姿勢は尊敬するし、それになんかとりあえず、色気がすごい(笑)』

 

『色気(笑)』

 

『うん、今日もすごい色っぽいなって思ってた』

 

その時の私は、自分の気持ちを取り繕うという概念を忘れ去ってしまったようだった。もう、感じたことをそのまま相手にぶつけてしまえ、そう半ば投げやりな気持ちで言葉を紡いていた。

 

『君は素直な人だな』

『俺とそういうことがしたいってこと?』

 

連続で送られてきた言葉に、ぐらりと心臓が気味悪く揺れる。もしも心臓が一本の金具で体内にぶら下げられているのだとしたら、今まさに落ちるかどうかの瀬戸際にあるはずだ。

 

『どうだろう…正直、そういうことしたことないから、よく分からない』

 

ゆらゆらと心臓が気味悪く揺れ続ける。けれども同時に、どくどくと心臓に血が集まってくる感覚にも気づいた。無意識のうちに前歯で下唇をわずかに噛みしめ、その柔らかな感触にはっと歯を離す。

 

『そっか、初めてなんだっけ。まぁ今日は遅いしまた今度話そう、おやすみ』

 

揺れる心臓と集まる血流を無視して、一方的にやり取りが打ち切られてしまった。
マサトのメッセージに「既読」をつけたまま、さっきよりも強く下唇を噛みしめる。息を吐き切れていない肺に、無理やり新たな空気を押し込もうと深く鼻から吸い上げる。すぐに限界が来た横隔膜をギリギリまで広げて数秒制止し、吐く音が漏れないようにそろそろと息を吐き出す。息を吐き切ると今度はもう少し自然に深呼吸をし、やっと、少しずつ心臓と血流が元の持ち場に戻り始めたことを確認した。

 

その翌日、来週のデートをキャンセルするマサトからのラインが入った。そしてそれと同時に、マサトからのラインの返事が急激に遅くなった。

 

つづく(50話:しげきの異変

 

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